チャボの思い出

FI2491872_0E.jpg今を去ること、20ン年前の写真ですので、見づらいかもしれませんが、お許しくださいね。

小学5年生のころだったと思います。
私の通っていた小学校に、誰が持ってきたのかは忘れましたが、数羽のチャボが寄贈されました。私は飼育係を買って出て、毎日楽しみながら世話をしていました。
どういうわけか、チャボは何羽か盗まれたりしてしまい(南京錠を買ってもらって、カゴにつけても、鍵が壊されたりしていたのを覚えています。)、卒業が迫ったときには、雄鶏と雌鳥のつがいだけになってしまいました。

先生が、「お前みたいにかわいがるやつはもういないから、持って帰って面倒見てくれよ」と言うので、箱に入れて、自転車で自宅につれて帰りました。
雄鶏は、ストレスのためか、背中の羽毛が抜けて、皮膚病のようになっていましたが、私の家に来てリラックスしてくれたのか、しばらくしたら美しい羽が生えてきました。
立派な尾羽といい、たまに来るカラスにも立ち向かい、家族を守る勇敢さといい、実に見上げたお父さん鶏でした…。

FI2491872_1E.jpgしばらくして、雌鶏(『チロ』と呼んでいました。ちなみに雄鶏は『お父さん』もうそのまんま…)が卵を抱き始め、ほどなくかわいいヒヨコが生まれました。
白色レグホンのヒヨコは、縁日に買って来たのを何度か育てたことがあるのですが、チャボのヒヨコは初めてで、その小さくて、頼りなげなのにびっくりしたものです。

チャボたちの住み家は、母親が鉢植えを育てていた、小さな温室の下の段の扉を開けてやり、ダンボール箱を入れて寝床としたモノでした。
夕方になると、親鶏は、10センチほどの段差をピョンと飛び上がって、温室の中に入るのですが、ヒヨコはまだ小さいので段差を上がることができず、ピヨピヨ悲しげにと鳴いて、右往左往するばかりです。仕方がないので、夕方になると、逃げ回るヒヨコを手に乗せて、巣に入れてやるのが日課になりました。

ヒヨコは翌年もう一羽生まれ、いずれも雌鶏で、育つと母親のチロと瓜二つになりました。計4羽のチャボ一家になったのです。

チャボたちが来てからというもの、平日・休日を問わず、朝4時になると「お父さん」が「コケコッコ~!」と始まるので、当時、夜遅くまで仕事のあった私の父には、だいぶ迷惑をかけてしまったようです…。


FI2491872_2E.jpg私の家族には良く慣れてくれ、縁側の戸を開け放っておくと、写真のように、座敷に上がりこんでしまうくらいになりました。

居間に誰もいないと、かなり奥まで入ってきて、廊下でチャボ一家に出くわして驚いたこともしばしば。大きな糞をそこらじゅうにされてはかないません。ふだんは縁側に箱を置いたりして、上がれないようにしたものです。
もちろん、私がいて、手から餌を食べさせるときは、上がりこんでも良いときでしたが…。

私がオヤツに飲む甘い紅茶と、花壇の土いじりのときに出てくるミミズが大好物で、植え替えをするときは目の色が変わり、前屈みでミミズの出現を待ち構えていました。

写真は、2羽目のヒヨコが生まれて、しばらくしたときでしょう。孵化したてより、だいぶ大きくなっていますが、伸びかけの羽がボサボサとして、まだ幼い感じがなんとも可愛らしいですね。
手の平に乗せたときの、ホヤホヤとした産毛の感触を思い出します。

チャボたちが来て10年ほど経つと、まず「チロ」が亡くなり、次に「お父さん」が、数年後には2羽の子供たちも後を追いました。
いずれも老衰らしく、ちょっと具合が悪くなったかな?と感じた翌日には、もう死んでいました。
事故や病気で、小鳥を死なせてしまったことも何度かあるので、天寿を全うさせてやれたことは何よりでした。きっとあの世でも一家揃って、仲良く暮らしていることでしょう。

(●゚ θ ゚) 父


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ちゅん父

Author:ちゅん父
カミサンの(●゚ θ ゚) 母と二人で、スズメのちゅんすけとひなちゅんに振り回されながらも、ますますちゅんどもに魅せられていく親バカな日々…。
閉鎖されたDoblogから引っ越してきました。

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